鎌倉新仏教の祖師たちは天台僧 https://twitter.com/SAKAI_Tooru/status/1593322858909794305
鎌倉時代には 江戸時代のごとき寺壇制度が まだ有ったわけではなく、 宗派の違いは そこまでハッキリとはしていなかった。
日蓮は自らを天台僧だと思っていたと思う。 臨済宗の栄西なども、 あくまで天台宗の復興のために 禅を興隆させようとしていたのだ。
天台宗の念仏派・興禅派・題目派 https://twitter.com/SAKAI_Tooru/status/1593323350712991745
法然も自らを天台宗の一部だと思っていたのではないか?
鎌倉新仏教の祖師らの意識としては 自らは言わば天台宗内部の 念仏派・興禅派・題目派であったのであり (互いに、 相手方は「天台宗の本来の在り方から逸脱している」と 考えていたかもしれないが)、 自らを独立した宗派の祖とは 考えていなかったのでないかと思う。
>>2 本願寺は長く天台宗の末寺だった https://twitter.com/SAKAI_Tooru/status/1593327970965258240
実際、 浄土真宗の本願寺などは 室町時代の蓮如の頃には天台宗の青蓮院の下に在った。 本願寺は天台宗寺院の末寺にすぎなかったのだ。
蓮如も この青蓮院で僧侶に なっている。 それまでの本願寺歴代門首も基本的には この天台宗の青蓮院で僧侶に なった。 これは蓮如の ひ孫の代まで続いた。
天台宗の念仏派・興禅派・題目派
https://twitter.com/SAKAI_Tooru/status/1593323350712991745
法然も自らを天台宗の一部だと思っていたのではないか?
鎌倉新仏教の祖師らの意識としては
自らは言わば天台宗内部の
念仏派・興禅派・題目派であったのであり
(互いに、
相手方は「天台宗の本来の在り方から逸脱している」と
考えていたかもしれないが)、
自らを独立した宗派の祖とは
考えていなかったのでないかと思う。